2005年富士チャンピオンシリーズロードスターカップ ジョイファスト夢ロードスターの夢がかなった
伊佐治さんがNゼロ11号車を手放す事を決心した日が全ての始まりでした。
レースをやって見たいという願望は昔から心の片隅にずっとくすぶっていた気がします。56歳にもなって
「新生富士スピードウェイでレースをやりたい」なんていう無謀な夢に向かって走り出した原点は、ユーノスロードスターという車の存在であり、
そしてそんな大それた夢を実現できたのは、
ジョイファストの伊佐治さんをはじめNゼロレースに関係する全ての皆さんの支援と応援があったからであることは、疑う余地がありません。
皆様に感謝、ロードスターに乾杯!
56歳と104日
その日は少し汗ばむカラっと晴れた日でした。新生富士スピードウェイがオープンしてわずか7日目、
その日が生まれて初めて富士スピードウェイを走った日でした。
長い、広い、筑波とは全く違う速度域。どこをどう走ればいいのか全くわかりません。
「なが~いホームストレートはとにかくアクセルを踏んでればいい、これはわかる。しかし、あらゆるコーナー特にあの第三セクション、
どこをどのくらいのスピードで走ればいいのだ?」。全く途方にくれてしまいました。筑波は結構走っていたんですよ。
でも速度域の高いコーナー、起伏の激しいコーナー、180kmからのフルブレーキング、などなど走るだけで精一杯、
ましてレースなんてとても無理だわな。
でももうエントリーしちゃってます。
ベストタイム22秒台。レースまであと何日もないんだよ。大きく膨らんだ夢と少しの自信がたちまち萎んでゆきました。
そんな時、小笹さんの的確なアドバイスと励ましが神の声のようでした。
56歳と167日 NA6CEクラス 公式予選17秒614 決勝14台中7位
いよいよ富士スピードウェイでのロードスターカップ第一戦。夢がかなった「ジョイファスト夢ロードスター」のNゼロ初参戦です。
とてもエキサイティング、しかし夢がかなった嬉しさよりも抜かれた悔しさが残った日でした。
何度かの練習で17秒台のタイムが出るようになっていました。
でもまあそんな甘いものじゃないだろう、NA6クラスで14台のエントリー、なんとか最後尾にならないように頑張ろう、
いや最後尾でも構わないからとにかく無事に完走しよう。
そう思うと気が楽でした。それにオーバーフォーティーズの仲間も応援に来てくれました。
NR-Aのレースに初参加の時、スタートで赤ランプが消えたあと青ランプが点くのを待っていてスタートが遅れた経験のあるGGさんが
「曽根さん、スタートは赤ランプが消えたら走るんだよ、青ランプが点くのを待ってちゃだめだよ!」と親切にアドバイスしてくれます。
そんな楽しい応援が気持ちを落ち着かせてくれます。もうこれぐらいの歳になると極度に緊張するなんて事はもうあまりないんです、
人生開き直っちゃってますからね。
コースインのあとグリッドについた時、一番不安そうで緊張していたように見えたのは伊佐治さんでした。
フォーメーションラップを終えてグリッドにつく、5つの赤ランプが順番に点いてゆく、回転をあげる、このときの心地よい緊張感、
ランプに集中し頭の中には何もない。
この瞬間の緊張感とストレスは最高ですね。ランプが消えた瞬間クラッチを繋ぐ、何台ものロードスターが第一コーナーに一斉に駆け込む、
白煙があがる、コーナーをクリアしアクセルを踏み込む。一瞬の判断、一瞬の油断、一瞬の躊躇、一瞬の思い切り、
これら瞬間の連続がレースなんですね。
わずか8周が長くもあり短くもあり、チェッカーを受けた時の安堵感、満足感、達成感、そしてその次に沸いてくるのが抜かれた悔しさ、
そしてこの悔しさがどんどん増幅されてきます。
はなから速い車や早い人に抜かれるのはしょうがないですが、同じ程度の速さのNA6に抜かれるのは悔しいですね。今度こそは!
56歳と195日 NA6CEクラス 公式予選16秒447 決勝13台中7位
56歳と258日 NA6CEクラス 公式予選15秒625 決勝14台中5位
56歳と300日 NA6CEクラス 公式予選15秒437 決勝19台中8位
ま、レース1年目、最年長ドライバーの戦績としてはこんなものでしょう。
一応5位入賞もしましたしね。
チームメイトの斎藤さんはシーズンを通して見事な成績を残されました。 JFレーシングチームとしては活躍のシーズンだったのではないでしょうか、チーム監督の「走りたい症候群」と「みか姫崇拝病」 は当分治りそうにはありませんけど・・。
レースは一人じゃできない。
チームJFの息のあった優秀なメカニックさんの地道なサポートがあってこそのレースだということがわかりました。
レースは冷静にそして大胆に。
冷静にというのは出来るのですが、大胆にってのが難しいですね。大人の良識ってやつが邪魔しちゃいます。
いろいろ学びましたが、ま、乗ってきた車で帰るというのが基本ですからね(オーバーフォーティーズの合言葉でもあります)。
レースは速い奴ほど美しい。
11号車は美しいんですがね、ドライバーがまだまだです。うまい人速い人の後ろを走ると技量の差が歴然としていて嫌になりますね。
もっと走りこまなくては・・。
永年の夢がかなった年でした。
11号車ありがとう。
伊佐治さんありがとう。
メカニックさんありがとう。
チームメイトさんありがとう。
RDAの皆さんありがとう。
2006年も参戦したいと思います。エントリーネームは・・・
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